03.主題講演


「応えたもう神」

那覇聖書研究会 友寄 隆静

プロフィール
沖縄県本部町(美ら海水族館のある)出身
16歳の時に宮里キリストの教会で受洗
17歳の時内村鑑三『キリスト信徒の慰め』に出会う。
1969年3月同志社大学神学部卒
著書『なぜユタを信じるか、その実証的研究』(1981年8月刊、沖縄社)
那覇聖書研究会会員
職業は認可保育園長・理事長

 私は16歳の時にキリストの教会で洗礼を受け、17歳の時に内村鑑三の「基督信徒の慰め」を読んで、明治の日本に内村鑑三という巨人がいた衝撃を受けました。内村鑑三の信仰と思想によって、私は沢山の恵みを受けました。

内村の信仰のエッセンスは罪の赦しの信仰であり、内村の思想のエッセンスは絶対非戦論になるのではないかと思いました。又、特に信仰の独立、経済の独立、一期一会の教えにも似た一回きりの思いの大切さを知らされました。

イエス・キリストを罪からの救い主として受け入れる者は、罪から解放される。

それによって喜びと自由がいただける。聖霊がいただける。感謝の世界が広がってくる。この世界の造り主なる神様につながることによって、被造世界の現実はどうなっているか、世界は平和であるか、人々は幸せであるか、人権は大切にされているか、差別はないか、子どもや老人は大切に扱われているか、その他諸々の出来事に心が向けられるのも事実である。

 根底にあるものは、罪の赦しによる平和という個人的な救いであります。

神の愛をいただくことによって、「互いに愛し合いなさい。これが私の命令である」のみ言葉を受け、私たちは隣人愛の生き方へ参加させられる。喜ぶ者と共に喜ぶだけでなく、泣く者と共に泣く姿勢が求められる。

キリスト者の自由の行使は多様性があり、試行錯誤し、自分の弱さを痛感しながら、歩んでいく。神につながることは世界につながることになる。

詩篇126:1には「主がシオンの捕らわれ人を連れ帰られると聞いて
         私たちは夢を見ている人のようになった。」とあります。

これはすばらしい出来事、グッドニュースを聞かされた瞬間の喜びであります。

旧約聖書は、神の言葉に従うか否かが興国となるか亡国となるのかの捉え方をしています。偶像崇拝をするかしないかが国の存立に関わるとのことです。実際、偶像崇拝の結果、ソロモン王の栄華の時代が終わると北王国イスラエルと南王国ユダに分裂しますが、さらにその後北王国はアッシリアによりBC721年に滅び、南王国はバビロンのネブカデネザル王の時代BC587年に滅び、バビロンに捕囚となっていきました。が50年後、バビロンも滅びペルシャ王クロスの時に解放宣言が出されエルサレム帰還となります。(エルサレムからイラクのバグダッドの距離は756㎞ある。)

その時の感激が「夢見る人のようになった」と思われます。詩篇120:1が個人的であり、126:1,2は民族的な国家的な出来事のように思われます。

私は故里・沖縄が核も基地もない島になることを「夢」に見ます。

羽田空港から1600㎞南にある沖縄はどんな島であるか、歴史と現実はどうなっているか、「生きて働く神様」はここにもおられるのか、自問しております。沖縄は元々は琉球王国という独立国でした。沖縄と日本との歴史的関係は1609年島津の侵略により属国となる出来事があます。その延長線上に1879年の明治政府による琉球処分、ここで琉球王国は滅亡し、沖縄という名前に変えられました。明治天皇が「沖に縄のように伸びている島」だから沖縄と命名されたと聞いたことがあります。以後、皇民化教育により沖縄はマインドコントロールされ、1945年、捨て石作戦による悲惨な沖縄戦の戦死者20万人を出す流血の島となりました。1952年4月28日、講和条約により日本は独立しましたが、沖縄は米軍支配下の苦難を強いられました。講和条約は国と国による国際的な条約であるわけですが、1947.9の昭和天皇メッセージがその根底にあることに気づかされました。

「天皇の助言者である寺崎英成氏は、沖縄の将来に関する天皇の考えを私に伝えるため、あらかじめ日時を約束したうえ来訪した。・・寺崎氏は、天皇は米国が沖縄、その他の琉球諸島に対する軍事占領を継続するよう希望していると述べた。・・・彼らはロシアの脅威を懸念しているだけでなく、占領が終わったのち右翼および左翼勢力が台頭し、日本の内政に干渉するための根拠としてロシアが利用しうるような「事件」を引き起こすのではないか、と懸念しているのである」と述べ、さらに「また天皇は、沖縄(そのほか必要とされる島嶼)に対する米軍の軍事占領は、主権を日本に置いたままでの長期―25年ないし50年」またはそれ以上のー租借方式と言う擬制にもとづいて行われるべきであると考えている・・・」と書いている。(「資料日本占領―天皇制」=大月書店=より)

平和条約第3条 (1951.9.8サンフランシスコで締結 1952.4.28発効)には、「日本国は、北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。」とあります。

 進藤助教授は「天皇からのメッセージ」が天皇主導下に出されたものか、寺崎を含む天皇側近たちの主導下に発せられたものなのか、今日断定することは困難である」としたが、昭和天皇の侍従長・入江相政氏の日記によって天皇ご自身の考えによるものであることが明らかになった。

「お召ということで出たら昨夜、赤坂からお帰りの車中でうかがった「沖縄をアメリカに占領されることをお望みだった」といふ件の追加の仰せ。蒋介石が占領に加はらなかったので、ソ連も入らず、ドイツや朝鮮のやうな分裂国家にならずに済んだ。同時にアメリカが占領して守ってくれなければ、沖縄のみならず日本全土もどうなったかもしれぬとの仰せ。」(1979(昭和54)年4月19日 入江相政日記第5巻419p)

瀬長亀次郎衆院議員(共産党)は4月27日の衆院沖縄・北方問題特別委員会で天皇の沖縄発言について質問。「天皇は22年9月、米側に対し、側近を通じて沖縄を軍事占領し続けるよう提案していた事実がある。これは天皇の国政関与を禁じた憲法に違反する」として、政府の見解をただした。三原朝雄沖縄開発庁長官は「事実関係の有無がつまびらかでないので、責任ある発言を慎みたい」と答えた。 (入江相政日記第5巻470~471p)

このメッセージは私にとっては大きな衝撃でした。私の尊敬する内村鑑三は昭和天皇の即位式典をラジオで聞き、万歳をしたと日記にありましたが、内村の尊敬した天皇陛下が沖縄メッセージをしたことについては衝撃と言わざるを得ません。講和条約によってでなく、天皇メッセージによって日本の独立と天皇制の安泰が実現した日に、私の故里・沖縄は米軍統治下に追いやられ苦難のどん底に落とされた日と気づくまでに私は実に50年かかった気がします。

1979.4の雑誌「世界」で筑波大学の進藤助教授によって発表され、1991.朝日新聞発行の入江相政日記によって証明されるまでに1947から実に44年かかっています。私はこの年、1947年の2月に生まれ、この年の5.3日本国憲法が施行されましたが、この年9月の昭和天皇メッセージが米国に沖縄を売り渡す内容となっていることは衝撃でした。3,4年前に山本太郎参議院議員が平成天皇に直訴しようとしたことが天皇の政治利用になるとしてバッシングを受けたことがありましたが、この昭和天皇メッセージは天皇による天皇の政治利用の最たるものと言えましょう。政治的発言は憲法で禁止のはずなのに、やってしまった。これが日米の関係者によって料理され、講和条約第三条となったことはメッセージとすっぽりかぶさることで明白であると思います。その後の沖縄でどんなことが起こったか、1959.6.30宮森小学校ジェット機墜落事件始め、中学生ひき逃げ事件、女性のレイプ事件、人権侵害の数々ははかり知れません。全国巡行した昭和天皇が沖縄には一度も来なかった裏には大きな罪意識がなかったか。沖縄に行けば石を投げられることを恐れていたのではないか、1975.皇太子が来沖の時にひめゆりの塔で火炎瓶が投げられた事件も起こっています。

1950年代、米軍支配下で沖縄の土地を一括買い上げしようとする事件に県民が立ち上がり15万人が集まる島ぐるみ闘争となり、阿波根さん 瀬長さんが非暴力で訴え続けた。「一滴の水も一握りの土も米軍のものではない。沖縄のものだ。」「住民の敵意に囲まれた軍事基地の存在価値は無に等しい」(瀬長亀二郎)

「金は一年、土地は万年」の上り旗を立てて乞食行進もしている。

「乞食をするのは恥ずかしいが、乞食をさせるのはもっと恥ずかしい」

「五本の指はみんな長さが違う。みんな助け合って、誰も威張らない。」

「相手が鬼畜なら我々は人間になろう」「ベビーもママーも本国であなた方を待っている。敵の幸せも考えるのが平和運動」「平和運動は沖縄だけでなく、世界中から軍事基地がなくなるまで続けなければならない」(阿波根昌鴻)

46年前の 1972.5.15日本復帰時 佐藤栄作総理は「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、日本の戦後はない」との名言を残し、ノーベル平和賞も受賞しましたが、祖国復帰は米軍基地付きの偽りの復帰でありました。復帰後約6000件の米兵による事件事故がありそのうち500件は凶悪犯罪です。米軍機による爆音公害も続き環境破壊は今も日常茶飯事です。19959月に米兵による少女暴行事件が起こりました。県民大会が開催され、8万5千人が集まり抗議しました。そのために日米政府は動き、1996.4普天間基地返還(橋本、モンデール会談)を発表したが、しかし、「代替え施設を辺野古に建設する。地元の頭越しに工事を進めることはしない」と橋本総理は言明しました。その後、名護市の市民投票で「辺野古基地建設反対」が民意となったのに、時の市長は「基地受け入れ」を国に伝えて辞任し、後任の市長が選任されていきました。

2013.10 辺野古基地建設反対を公約にして当選した自民党の代議士たち5人が石破幹事長の恫喝に屈して辺野古基地建設賛成を表明し、2013.12には時の県知事も(辺野古基地建設反対を公約して当選したのに)辺野古受け入れ承認を表明し「これでいい正月ができる」と、公約を破りました。その県知事の後援会長の翁長雄志氏がこれを憤り、翌年の県知事選に立候補し、約10万票差をつけて勝利しました。公約破りの5人も全員落選しました。翁長知事は「基地は地域振興の最大の阻害要因である」として辺野古基地建設反対を貫き通し、去る8.8に67歳で逝去。その後継者として立候補した玉城デニー氏が9.30県知事選で相手候補に8万票差をつけて当選となりました。

全国の0.6%の面積の沖縄に、全国の米軍基地の70%を押し付けられて70年、耐用年数200年ともいわれる辺野古基地建設に抗う人々の胸中にあるのは何か。それは戦争につながるものを拒否する「沖縄の心」。これは沖縄の二つの新聞に生かされている。読売新聞や産経新聞にその気概はあるか。政府べったり新聞ではないのか。辺野古基地建設反対の座り込みをしている人々は殆どが高齢者の方々で手弁当での参加です。日当もらって、暴力も振るっているのは防衛局側につく機動隊や海上保安官、基地建設に賛成し警戒船として船を出している地元の漁協関係者です。いつも抗議行動に参加している島袋文子さん(89)は沖縄戦体験者です。戦争の時、家族で避難している時、のどが渇いて水を飲んだ。朝 気が付いたら戦死者たちの血が混ざっていたとのこと。子や孫たちに戦争の苦しみだけはさせたくない、戦争につながる基地建設は認めるわけにいかない、これが平和を願うものの生き方です。介護士として勤務していた女性や牧師婦人たちも基地建設に反対しています。やさしさの塊のような方々であり非暴力に徹する方々です。「沖縄の心は」保革を超えたオール沖縄となり、県知事選で、衆院選で、参院選で何度も示されてきた。安倍政権は天皇陛下の一声には即対応して退位の花道も準備したが、140万人の沖縄の叫びは無視し続けている。沖縄から米軍基地がなくなる日は来るのか。日本政府が今後も基地の島として差別を続けると、沖縄は独立国になる可能性がある。日本の行方は日本政府の沖縄政策に関わる。日米安保条約のために「基地負担を強制しながら負担軽減を唱える」安倍政権が沖縄の米軍基地返還をいうことは99%期待できない。神様が沖縄の苦しみに耳を傾けてくださり、クロス王のような存在を生まれさせ沖縄の基地はいらないから米軍基地は撤去する。か又は嘉手納基地のあたりに直下型地震が起こり、基地が使用不能になる時が来ることがあるかもしれない。生きて働く神様は「主は地の果てまでも戦いを止めさせ、弓を折り槍を断ち、戦車を火で焼かれる」(詩篇46:9,10)神様である。神様の答えは時間的に早く実現する答えがあり、何十年もかかるような答えがある。聖書は何を語っているか。

1.新約聖書におけるパウロの苦悩としてコリント後書12章7~9の「肉のとげ」があり、三度取り去るように神に祈ったとあります。しかし、「私の恵みはあなたに充分である。弱さの中でこそ神の恵みは強く働く」との応えをうけた。パウロは肉の苦しみは自分が高慢にならないための神の使いと理解して、その苦しみを受け入れたとあります。

2.黙示録6章9~11の殉教者の霊魂の叫び「主よ、いつまで裁きを行わず、私たちの血の復讐をなさらないのですか」については、「仲間の僕たちの数が満ちるまでなお、しばらく静かに待つように」との答えがあります。殉教者はまだ不足とのことです。

3.「父よ、できることならこの杯を取りのけてください」の主イェスのゲッセマネの祈りは血の汗を流しての祈りでありましたが、苦難の杯は取り去られませんでした。十字架上の「エリ、エリ、レマ、サバクタニ わが神、わが神なぜ私をお見捨てになったのですか」はイェスの絶望的叫びと言わざるを得ません。しかし、しかしです。 神様はイェスさまを死から復活させることによって、最大最高最深の応答をして下さった。絶望を希望に変えてくださった。

復活という信じられない出来事が絶望を希望に変えてくださった。これは個人大、国家大、宇宙大の応答ではないでしょうか。

神様が最も嫌われるものは何か、戦争です。命の造り主は命が損なわれることを心から悲しまれます。その最たるものが戦争です。

サタンが最も嫌うものは何か イェス・キリストの十字架、復活です。十字架と復活を知らせたくない。キリストによる平和をもっとも忌み嫌うサタンは誘惑の網を広げて妨害を試みます。私たちはそのことを看破しなければなりません。サタン同様、安倍政権が最も嫌うものは沖縄の基地問題は国民に知らせたくない出来事です。心ある方々が沖縄の苦しみに寄り添ってくださることは日本の平和のために大切な一事です。沖縄問題は沖縄のための問題ではありません。日本全国の問題であることを覚えてください。